男鹿地方各地のなまはげ(なまはげ館、2010年7月)
男鹿地方各地のなまはげ(なまはげ館、2010年7月)
なまはげの面は地区により様々な形状がある(なまはげ館、2017年3月)
なまはげの面以外の衣装も地区により差異があるが、当館では統一している(なまはげ館、2017年3月)

なまはげは、秋田県男鹿半島周辺で行われてきた年中行事、あるいはその行事において、仮面をつけの衣装をまとった神の使い(来訪神)を指す。

概要

秋田県の男鹿半島男鹿市)、および、その基部(山本郡三種町潟上市)の一部において見られる伝統的な民俗行事またはその行事を執り行う者の様相を指す。200年以上の歴史を有する。男鹿市などの調査によると、2012~2015年において市内148地区のうち約80地区でナマハゲ(なまはげ)行事がある[1]。「男鹿(おが)のナマハゲ」として、国の重要無形民俗文化財に指定されているほか、「来訪神:仮面・仮装の神々」の一つとしてユネスコ無形文化遺産に登録されている。異形の仮面をつけ、藁などで作った衣装をまとった「なまはげ」が、家々を巡って厄払いをしたり、怠け者を諭したりする。

男鹿市の真山神社では、なまはげが登場するある柴灯祭(せどまつり)を神事と位置付けている[2]#観光も参照)。

なまはげと同様の行事日本各地に広く分布し、男鹿半島からそれらに伝播したとの証拠も無い。しかし、何故そのようなことになったのかは不明だが、なまはげだけが圧倒的な知名度を得て、秋田県の記号になるまでに至った。その訴求力の大きさから、秋田県の観光PRに用いられるのは勿論、秋田県に関連する私企業でもモチーフにされたり、秋田県関連の物販・飲食店でのオーナメント余興の1つとされたりして、頻繁に用いられている。

開催時期の前倒し

江戸時代には太陰太陽暦1月15日小正月に開催されていたが、明治改暦で、約1ヶ月前倒しとなるグレゴリオ暦1月15日の小正月に開催する例も見られるようになった。

第二次世界大戦後は更に2週間ほど前倒しされた、グレゴリオ暦の大晦日12月31日)に行われている[3]。なお、太陰太陽暦の大晦日は、12月30日または12月29日である。

伝統的習俗の衰退と対応

男鹿市148町内会の大晦日の「なまはげ」(2015年度)[4]

  21町:慣例通り(地区の未婚男性が担い手)に実施 (14.2%)
  58町:慣例以外の担い手が実施 (39.2%)
  35町:途絶(平成期) (23.6%)
  16町:途絶(昭和期) (10.8%)
  18町:途絶(時期不明) (12.2%)

家々を回る年中行事としてのなまはげを実施する集落は、かつては男鹿半島のほとんどだったが、少子高齢化の影響で、現在はほぼ半減している[4][5]。男鹿市の調査によると、2015年までの25年間に行事が約35地区で行事が途絶えた[1]

本来、地区の未婚の男性がなまはげを務めるのが習わしだったが、高齢化と地区の人口減により担い手の若者が減ったため、既婚男性や高齢者、さらには帰省中の親族など地区外の者が務める例も見られるようになった[4][5]。男鹿市の双六地区では、なまはげ役を県内にある秋田大学国際教養大学の外国人留学生も務めることがある[6]。また、なまはげの主な訪問先である子供がいる世帯が少子化により減少しているため、実施する動機の減退も見られる[4]。その他、年末年始に仕事があったり、旅行などで不在だったりと、住民の生活の変化もなまはげの衰退の要因になっている。

対策として2012年度(平成24年度)より男鹿市は、なまはげを実施する町内会に補助金を出すようになったが、同市内の148の町内会のうち同年度、補助金を受けて6会がなまはげを再開したものの、半数近い71会が実施しなかった[5]2015年度(平成27年度)も69会が実施しなかった[4]

男鹿市の羽立駅前地区では2018年大晦日に、女性がなまはげに扮することが検討されたが、見送りとなった[7]

「観光」化

男鹿半島には観光用に年中なまはげを体験できる施設「男鹿真山伝承館」がある。また、男鹿地区に限らず秋田県の観光・物産PR活動において歴史的な習わしを超えて用いられており、各地に常設・仮設を問わず立像も設置されるなど、秋田県を象徴する記号にもなっている。「なまはげは未婚男性」というしきたりがある地区出身の既婚男性が、観光行事でなまはげに扮するといった使い分けも行われている[1]

観光客を楽しませる目的で、なまはげをモチーフとした新たな芸能も創作されている。昭和高度経済成長期に見られた団体旅行を中心としたレジャーブーム期には「なまはげ踊り」が、平成が始まる頃のバブル景気期にみられたリゾートブーム期には「なまはげ太鼓」が創作された。これらは季節性や地域性の枠を超え、秋田竿灯まつりや様々な物産展などへの参加に留まらず、単独公演も行っている。これらは旧来のなまはげとは異なり、「鬼」化した仮面を被っており、また、藁ではなく、破損しづらい毛糸ひもで作った衣装を着て演舞を行う。

男鹿地区外にある秋田市の居酒屋の「なまはげショー」(2018年6月)。大晦日でも小正月でもない日時において、民家でもない店舗内で実施。

田舎風の飲食店等において、民俗芸能の道具を店内装飾に用いたり、従業員が民俗芸能を実施したりして、誘客につなげたり、客の満足度を上げる例が様々見られる。このようなビジネスモデルを踏襲した秋田県のご当地グルメや特産品をメニューにしている店では、なまはげのお面を店内装飾に用いたり、男鹿地方のなまはげの慣例(男鹿地区出身・在住の未婚男性が担い手となって大晦日か小正月に民家で実施)を踏襲せずに、男女の従業員が「なまはげショー」を店のスケジュールで年中実施したりする例が、男鹿地方以外の秋田県内外でしばしば見られる。

「鬼」化

なまはげは本来、とは無縁の来訪神であったが[8][9]、近代化の過程で鬼文化の一角に組み込まれ、変容してしまったという説がある[9]浜田広介の児童文学『泣いた赤鬼』(1933年)のような、赤(ジジナマハゲ)と青(ババナマハゲ)の一対となっていることがあるが、そのような設定がいつ頃からあるのかは不明である。

「鬼」化され、赤・青一対になっている立像(秋田デスティネーションキャンペーン中の秋田駅、2013年11月)
Red Namahage at Akita station.jpg Blue Namahage at Akita station.jpg
ジジナマハゲ ババナマハゲ

名称

冬に囲炉裏(いろり)にあたっていると手足に「ナモミ」 「アマ」と呼ばれる低温火傷(温熱性紅斑)ができることがある。“それを剥いで”怠け者を懲らしめ、災いをはらい祝福を与えるという意味での「ナモミ剥ぎ」から「なまはげ」 「アマハゲ」 「アマメハギ」 「ナモミハギ」などと呼ばれるようになった。したがってナマに「生」の字を当て「生剥[注 1]」とするのは誤り。

なまはげの仮面の形は地域によって様々異なるが、赤面と青面の1対に定型化もされており、この場合は赤面がジジナマハゲ、青面がババナマハゲと呼ばれる。

風習

なまはげ

「なまはげ」は怠惰や不和などの悪事を諌め、災いを祓いにやってくる来訪神である。かつては小正月(旧暦から新暦に)の行事だったが大晦日の行事となり(参照)、年の終わりに、大きな出刃包丁(あるいは)を持ち、鬼の面、ケラミノ、ハバキをまとって、なまはげに扮した村人が家々を訪れ、「悪い子はいねがー」「泣ぐコはいねがー」と奇声を発しながら練り歩き、家に入って怠け者、子供や初嫁を探して暴れる。家人は正装をして丁重にこれを出迎え、主人が今年1年の家族のしでかした日常の悪事を釈明するなどした後になどをふるまって、送り帰すとされている。

教育的機能

なまはげは伝統的民俗行事であるとともに、東北地方においては幼児に対する教育の手段として理解されている。親は幼児に対し予めなまはげによる強い恐怖体験を記憶させ、そのあと幼児に対し望ましくないとみなされる行為を行った場合、その恐怖体験が再現される可能性を言語的手段によって理解させる[10]

同様の行事

本州北部の日本海沿岸部には、青森県西津軽のナゴメタクレ、秋田県能代市のナゴメハギ、秋田市のやまはげ、秋田県沿岸南部のナモミハギ、山形県遊佐町アマハゲ等がある。主に新潟県村上市石川県能登地方にはあまめはぎが伝えられ、福井県には語源は異なるがあっぽっしゃなどの呼び名でも分布する。

東北地方の太平洋沿岸部(三陸海岸)にも同様のものが存在する。岩手県では久慈市のナガミ、野田村普代村山田町のナモミ、釜石市のナナミタクリ、大船渡市三陸町吉浜のスネカ、同市三陸町越喜来のタラジガネ、内陸に入って遠野市のナモミタクリやヒカタタクリ等がある。

四国愛媛県宇和島地方では、前述の低温火傷を「あまぶら」といって、あまぶらができるような怠け者が便所に入ると、「あまぶらこさぎ」という者があまぶらを取り去るという[11]

歴史

発祥

妖怪などと同様に民間伝承であるため、正確な発祥などはわかっていない。秋田には、「武帝が男鹿を訪れ、5匹のを毎日のように使役していたが、正月15日だけは鬼たちが解き放たれて里を荒らし回った」という伝説があり、これをなまはげの起源とする説がある[12][13]

年表

画像外部リンク
菅江真澄「牡鹿乃寒かぜ」に描かれた「ナモミハギ」
「なまはげ太鼓」の演奏風景(秋田駅、2010年1月1日)。面が「鬼」化しており、衣装も藁ではなく毛糸や麻ひもを用いている。