ウィーン
Wien
ウィーンの旗ウィーンの紋章
(州旗)(州の紋章)
オーストリア国内におけるウィーンの位置
州都(ウィーン)
最大の都市-
州首相ミヒャエル・ルートヴィヒSPÖ
面積
- うち陸面積
 - 水面積
414.89 km2(第9位)
395.49 km2 (95,33 %)
19.40 km2 (4,67 %)
人口
 - 総計
 - 人口密度
(2017年1月1日)
1,867,582 人 [1](第1位)
4,501 人/km2
与党SPÖ, Grüne
前回選挙2015年10月11日
次回選挙2020年10月
連邦議会議席数11
23
測地系北緯48度7分 - 48度19分
東経16度11分 - 16度34分
最高点ヘルマンスコーゲル (542 m)
最低点ローバウ (151 m)
ISO 3166-2:ATAT-9
ウェブサイト[1]

ウィーン[2](標準: Wien〈ヴィーン〉、バイエルン・オーストリア語: Wean〈ヴェアン〉、: Vienne〈ヴィエンヌ〉、: Vienna〈ヴィエナ〉)は、オーストリア首都。2017年1月1日時点の人口は186万7582人。都市単独で一つの連邦州であり、ヨーロッパ有数の世界都市である。位置は、北緯48度12分5秒、東経16度22分38秒。

第一次世界大戦までは、オーストリア=ハンガリー帝国の首都として、ドイツ帝国を除く中東欧の大部分に君臨し、さらに19世紀後半まではドイツ連邦神聖ローマ帝国を通じて、形式上はドイツ民族全体の帝都でもあった。クラシック音楽が盛んで、過去にモーツァルトベートーヴェンシューベルトなど、多くの作曲家が活躍したことから「音楽の都」・「楽都」とも呼ばれる[3]

概要

ウィーンの位置 左のアルプス山脈と右のカルパティア山脈(図にはほとんど描かれていない)の間を流れるドナウ川のほとりにあるため、交通の要衝でもある
オーストリアにおけるウィーンの位置
ウィーン市街の遠景 左に国際機関本部の集積地(ウィーン国際センター)があり、ドナウ川をはさんで赤い屋根の旧市街が広がる。南を向いて撮影

ローマ帝国の宿営地ウィンドボナ (Vindobona) をその起源とし、かつてヨーロッパの数か国を支配したハプスブルク家オーストリア帝国の首都であった。マリア・テレジア女帝時代に栄えた市街は、フランツ・ヨーゼフ1世の治下で整備された。リングと呼ばれる環状道路は、ウィーンの近代化を実現するために、19世紀の後半にかつて旧市街を囲んでいた堀を埋め立てて造られたものである。シュテファン寺院(シュテファン大聖堂)や旧市街をふくむ歴史地区は、「ウィーン歴史地区」の名称で2001年ユネスコ世界遺産に登録された。ここには旧王宮であるホーフブルク宮殿(現在は大統領官邸や博物館、国立図書館などとして使用)・ウィーン国立歌劇場ブルク劇場自然史博物館美術史博物館南駅に近いベルヴェデーレ宮殿などが含まれる。

ウィーンは、そもそもの成り立ちが2つの道が交差するところに生まれた町であった。ドナウ川に沿ってヨーロッパを東西に横切る道と、バルト海イタリアを結ぶ南北の道(「琥珀街道」)である。そこはゲルマン系、スラヴ系マジャール系ラテン系のそれぞれの居住域の接点にあたり、歴史的にみても、上述のように、紀元前5世紀以降ケルト人の居住する小村であったところにローマ帝国の北の拠点が建設されたのが起源であった。オスマン帝国の隆盛時にはヨーロッパからみてアジアへの入り口にもあたっており、伝統的にも多彩な民族性を集約する都市として栄えた。

その地理上の位置は、かつて共産圏に属した東ドイツベルリン東欧スラヴ民族の国家チェコプラハよりも東であり、第二次世界大戦後の冷戦時代にあっても、国際政治上微妙な位置にあった。

また、都心から南南西方面に離れた場所には、かつてウィーン会議の舞台となった世界遺産のシェーンブルン宮殿がある。これは、レオポルト1世が狩猟用の別荘として建てたものを、マリア・テレジアが離宮として完成させたものである。

現在のウィーンは、国際機関本部の集積地ともなっており、日本政府も在ウィーン国際機関日本政府代表部を置いている。ウィーンに本部を置いている機関は次の通り。

2017年に発表された「世界の都市総合力ランキング」では、世界14位と評価された[4]。ヨーロッパの都市ではロンドンパリアムステルダムベルリン、フランクフルトに次ぐ6位。

歴史

ローマ時代

ローマ時代、ウィーンはちょうど帝国の北の境界にあたる位置にあり、恐らくケルト語源でウィンドボナ(bonaはケルト語で集落・町)と呼ばれる宿営地が置かれた。これがウィーンの地名の起源と言われている。

ハプスブルク家の帝都

18世紀のウィーン
1900年ウィーン国立歌劇場

中世にもドナウ川沿いの交易地として発展したウィーンが本格的な発展期を迎えたのは、オーストリアを治めていたバーベンベルク家が1155年にクロスターノイブルクからウィーンに都を移したことに起因する。1221年、ウィーンは都市特権を獲得した。バーベンベルク家は13世紀半ばに断絶し、1278年よりオーストリア公となったハプスブルク家の支配下におかれた。14世紀、建設公と称されたルドルフ4世のもとで、ウィーンは大きな発展を遂げた。この時代にシュテファン寺院やウィーン大学が建てられている。やがてハプスブルク家は婚姻政策の成功により16世紀に入るとボヘミアハンガリーを初めとする多くの王国を相続し、ドイツ神聖ローマ帝国の帝位を独占。16世紀前半にはカール5世のもとヨーロッパ最大のドイツ系の帝国を築くに至る。ドイツ民族居住地域としては現在も当時も東端に位置し、スラヴ文化やマジャール文化の影響も受けると同時に国防上は難点もあり、一時はオスマン帝国による第一次ウィーン包囲(1529年)など、ヨーロッパ全体を震撼させる事件もあったが、ハプスブルク家のもとで帝都ウィーンでは華やかな貴族文化が栄えていた。1683年にもオスマン帝国による第二次ウィーン包囲を受けたが撃退、17世紀末からは旧市街の王宮ホーフブルクに加え、離宮シェーンブルン宮殿が郊外(現在は市内)に造営された。これが18世紀末から現在に至る「音楽の都ウィーン」の礎となった。18世紀末にはヨーゼフ2世によりウィーン総合病院が開設され、プラーター公園が一般市民に開放されるなど都市環境が改善されていった。

19世紀半ばに産業革命を迎えたウィーンは農村からの人口流入により急激な人口増加を経験した。1869年に63万であった人口は、1910年には203万を数え、当時のヨーロッパではウィーンは、ロンドン、パリ、ベルリンと並ぶ都会であった。1873年にはウィーン万国博覧会も開催されている。皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は自ら立案して大規模な都市改造を行い、市壁を撤去し環状の道路(リング)と置き換え、路面電車を導入するとともに、歴史主義的建造物やモニュメントを街路に面して配した。現在のウィーン旧市街の外観はこの改造によっている。

オーストリア=ハンガリー帝国は多民族国家であり、支配民族であったドイツ人は帝国の人口5千万の25%あまりを占めるにすぎなかった。帝国各地からの人口流入により、ウィーンの街ではドイツ語ハンガリー語チェコ語ポーランド語イディッシュ語ルーマニア語はもちろんのこと、ロマ語イタリア語までヨーロッパのあらゆる言語を耳にすることができたと言われる。

帝国各地からあらゆる民族出身の才能が集まり、ウィーン文化はその絶頂期を迎えた。

第一次大戦と帝国の崩壊

1914年に始まった第一次世界大戦1918年にドイツ・オーストリア側の敗北をもって終戦した。ハプスブルク家の帝国は解体し、チェコスロバキアハンガリーユーゴスラビアポーランドなどが次々と独立、ウィーンは経済的困窮に追い込まれる。新しい共和国の首都となったウィーンでは社会主義系の市政が発足し、保守的な地方の農村部からは「赤いウィーン」と呼ばれて、両派の政治的確執は国政全体の不安定へとつながった。また、ほぼドイツ人だけの国となった新オーストリアで、東端に位置しなお濃厚な東欧色を残すウィーンは微妙な立場でもあった。このような時代をウィーンで過ごしたアドルフ・ヒトラーはやがてドイツで独裁者となり、やがてヒトラーは母国オーストリアをドイツに併合し(アンシュルス)、ウィーンは約700年ぶりに首都でなくなった。

永世中立国の首都として

ウィーン国際センター(国連諸機関の入るオフィスビル)

1945年、第二次世界大戦でナチスは崩壊し、ウィーン攻勢ソビエト連邦軍に占領され、その後連合国の合意で米英仏ソ四か国の共同占領下に置かれた。1949年の映画『第三の男』はこの時代のウィーンの雰囲気をよく伝えている。

1955年、オーストリア国家条約の締結によりオーストリアは主権国家として独立を回復した。旧ハプスブルク帝国の継承国家のほとんどが共産圏に組み込まれる中で、オーストリアでは共産党が国民の支持を得られず、経済的には西側との関係を保ったまま永世中立国として歩むことになった。

ブルーノ・クライスキー首相は、ウィーン国際センターの建設を提案し、ウィーンをニューヨークジュネーヴに次ぐ第3の国連都市にすることに成功した。ウィーンは国際連合ウィーン事務局として数々の国際機関の所在地となった。しかし鉄のカーテンにより、かつての後背地であった東欧を失ったウィーンの人口は、ゆるやかに減少を続けた。人口100万人以上の大都市のうち、20世紀を通し、人口が減少したのはウィーンだけである。

現代のウィーン

1989年のベルリンの壁崩壊は、中欧におけるウィーンの持つ価値を蘇らせた。150万人を切っていた人口は特に外国からの流入により再び増加傾向にあり、2030年ごろには再び200万人の大台を回復すると予想されている。これは2004年に中東欧8か国がヨーロッパ連合に加盟したのに加えて、2007年にはルーマニアブルガリア、2013年にはクロアチアが加盟、今後もセルビアをはじめとするバルカン諸国の加盟が見込まれるからである。

ウィーンには中東欧の経済的中枢として多くの多国籍企業が進出するようになったが、旧共産圏諸国のインフラが整うにつれて、企業の拠点としてプラハやブダペストなどとの競合も厳しくなっている。このため2005年に法人税などが引き下げられた。

ウィーン市は現在バイオテクノロジー産業の育成に注力しており、Vienna Biocenterなどを積極的に整備している。またウィーンに拠点を置く金融機関が活発な買収を通じて中東欧での業務を拡大しており、中東欧における金融の中心としての地位をワルシャワと競っている。他方、観光も相変わらずウィーンの重要産業である。ICCAによる2016年の国際会議の開催件数ではパリに次ぎ世界第2位であった。

地理

ウィーンの衛星写真 中央上から右中央に流れるのがドナウ川。画面中央部に向かってドナウ川から分かれる細い流れがドナウ運河。画面中央部にドナウ運河を左側に位置するのがウィーン旧市街である(ランドサット映像)

川と運河

市の中央を、北西から南東にかけてドナウ川が横切っている。かつては氾濫を繰り返したこの川は19世紀に大規模な治水工事が行われたことで、現在のようなまっすぐな姿になった。旧市街に接して、ドナウ運河が流れており、こちらをドナウ川であると誤解する観光客も多い。ウィーン市街はドナウ右岸を中心に発展してきたが、近年[いつ?]左岸は地下鉄の延長工事が進行中で、新興住宅地として人口が増加している。

森林と公園

市西部はウィーンの森として知られる森林地帯になっている。散策路が縦横無尽に走っており、市民の憩いの場になっている。13区にあるラインツ動物園内には皇帝の別荘ヘルメスヴィラがあり、現在は市民に開放されている。

元皇室の料地でヨーゼフ2世が一般市民に開放したプラーター公園があり、公園内には映画『第三の男』にも登場した観覧車がある。

墓地

ウィーン中央墓地は帝国崩壊前に人口400万を想定して建設された巨大な墓地である。著名な作曲家の墓は一か所に集められており、訪れる日本人も多い。ウィーン市が所有しており、全て分譲ではなく賃貸である。

サンクト・マルクス墓地にはモーツァルトが埋葬されているが、遺骨は所在不明のため、現在は中央墓地に墓碑がある。グスタフ・マーラーの墓は中央墓地ではなく、妻アルマの実家に近い19区のグリンツィング墓地にある。

気候

ウィーンの気候はケッペンの気候区分によれば、海洋性気候湿潤大陸性気候の変わり目に位置する。夏は適度な暑さで平均気温は22 - 26℃の範囲で経過し、最高気温は30℃を超えることもあり最低気温は15℃位である。冬は比較的寒く、平均気温は氷点下付近まで下がり12月から3月にかけては降雪も見られる。春や秋はさわやかで、穏やかに経過する。年間平均降水量は620 mm程度で、ウィーンの森がある西側は市内で降水量が多い場所で年平均降水量が700 - 800 mmになる。平坦な東側は年平均降水量が500-550 mmと市内では乾燥した区域である。

ウィーンの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C (°F) 16.7
(62.1)
19.1
(66.4)
25.5
(77.9)
27.8
(82)
30.7
(87.3)
35.9
(96.6)
36.0
(96.8)
37.0
(98.6)
31.1
(88)
26.4
(79.5)
20.8
(69.4)
16.1
(61)
37.0
(98.6)
平均最高気温 °C (°F) 2.9
(37.2)
5.1
(41.2)
10.3
(50.5)
15.2
(59.4)
20.5
(68.9)
23.4
(74.1)
25.6
(78.1)
25.4
(77.7)
20.3
(68.5)
14.2
(57.6)
7.5
(45.5)
4.0
(39.2)
14.5
(58.1)
日平均気温 °C (°F) 0.1
(32.2)
1.6
(34.9)
5.7
(42.3)
10.0
(50)
15.2
(59.4)
18.2
(64.8)
20.2
(68.4)
19.8
(67.6)
15.3
(59.5)
9.9
(49.8)
4.6
(40.3)
1.5
(34.7)
10.2
(50.4)
平均最低気温 °C (°F) −2.0
(28.4)
−0.9
(30.4)
2.4
(36.3)
5.8
(42.4)
10.5
(50.9)
13.5
(56.3)
15.4
(59.7)
15.3
(59.5)
11.7
(53.1)
7.0
(44.6)
2.4
(36.3)
−0.5
(31.1)
6.7
(44.1)
最低気温記録 °C (°F) −19.6
(−3.3)
−17.2
(1)
−15.3
(4.5)
−2.7
(27.1)
1.0
(33.8)
4.8
(40.6)
8.4
(47.1)
7.0
(44.6)
3.1
(37.6)
−4.5
(23.9)
−9.6
(14.7)
−18.1
(−0.6)
−19.6
(−3.3)
降水量 mm (inch) 37.2
(1.465)
39.4
(1.551)
46.1
(1.815)
51.7
(2.035)
61.8
(2.433)
70.2
(2.764)
68.2
(2.685)
57.8
(2.276)
53.5
(2.106)
40.0
(1.575)
50.0
(1.969)
44.4
(1.748)
620.3
(24.422)
降雪量 cm (inch) 18.6
(7.32)
15.6
(6.14)
8.3
(3.27)
1.5
(0.59)
0.0
(0)
0.0
(0)
0.0
(0)
0.0
(0)
0.0
(0)
0.0
(0)
7.9
(3.11)
16.4
(6.46)
68.3
(26.89)
平均降水日数 (≥ 1.0 mm) 7.3 7.6 8.3 7.5 8.5 9.1 9.0 8.0 7.0 6.0 8.3 8.2 94.8
平均降雪日数 (≥ 1.0 cm) 13.9 10.0 4.0 0.4 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 2.7 8.3 39.3
平均月間日照時間 60.9 90.1 131.5 173.8 228.0 222.8 241.8 239.2 167.6 131.2 65.5 52.0 1,804.4
出典: Central Institute for Meteorology and Geodynamics[5]

政治

カール・マルクス・ホーフ」と呼ばれる市営住宅は戦間期の「赤いウィーン」の代表的建築物である
ウィーンの行政区画

ウィーンは市であると同時に連邦州である。伝統的にオーストリア社会民主党 (SPÖ) の牙城であり、市議会でも過半数を握っている。市長(=州首相)は直接選挙ではなく市議会で選ばれ、現在はミヒャエル・ホイプルである。

前市長のヘルムート・ツィルクは、映画『男はつらいよ 寅次郎心の旅路』に出演するなど親日家であった。

日本との姉妹・友好都市関係