むやちょう
撫養町
廃止日 1947年3月15日
廃止理由 編入合併
撫養町鳴門町瀬戸町里浦村鳴南市
現在の自治体 鳴門市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 四国地方
中国・四国地方
都道府県 徳島県
板野郡
総人口 1万7,228
1940年
隣接自治体 鳴門町、瀬戸町、北灘村堀江村
大津村、里浦村
撫養町役場
所在地 徳島県板野郡撫養町
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撫養町(むやちょう)は、かつて徳島県板野郡にあった。現在の鳴門市撫養町(黒崎斎田南浜木津大桑島小桑島岡崎弁財天北浜林崎立岩)。古くより鳴門の中心的市街地。

1889年の町村制実施時に徳島県内で「町」だった2つの自治体のひとつ(もうひとつは脇町)。

歴史

近畿と交通の便がよかったことから奈良時代平安時代から開けていた[1]。天平5年(733)完成の風土記のものとされる逸文に「むや」の記述があり、これが史料として最も古い[1]。『土佐日記』には「牟野 (むや) 」とされている。室町時代には三好氏城下町だったが、天正13年 (1585) に蜂須賀家政阿波九城の一つ岡崎城(撫養城)を築いてから淡路渡海の押えの地として特に発展した[2]江戸時代は「斎田塩」の製塩業、塩・などの積み出し港として栄えた[2]。四国の門戸として、日本各地から廻船が集まり、全国でも有数の港町だったが、港口付近に暗礁が多く、大型船の航行に支障があったため、昭和に入ると次第に港町としての機能は衰えていった[1]

沿革